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東京の旅
2023年10月25日。研究生秋山アキヲとぼく(清原)は東京への旅に出た。
姫路の自宅を出発した秋山は、自分の作品とぼくを乗せ、およそ9時間車を走らせ、夜、東京三軒茶屋に着いた。原宿にあるデザインフェスタギャラリーで個展を開くためだ。秋山にとっては初めての個展である。
(上の写真は中央自動車道の甲府あたり。往路の車窓から撮ったもの。)
個展
秋山アキヲ展
2023年10月27日(金)〜10月29日(日)/デザインフェスタギャラリーWEST(東京原宿)
◼️秋山アキヲ個展をふりかえって(その1 東京編)
関西を出発した日、予定より一日前倒しで搬入展示作業を行うことに決めた。デザインフェスタギャラリーは東棟・西棟合わせて20室以上のギャラリーと飲食施設を擁する校舎のような施設だが、1日単位での貸し出しシステムであるため、空室があれば臨機応変に借りられる。調べると空いていたので、迷わず予約した。
翌日。ギャラリーに着いてからの展示作業は、作戦変更の連続であった。特に、ロケで撮った写真の展示。モノクロームの小さめのプリント写真をいったんレーザーレベル(レーザー水平器)を駆使して緻密に並べ終えたが、それを見た美術家、糸崎さんから「せっかくいろんな場所に行って撮影した成果が無駄になってしまっている。画質補正のなされた白黒写真だとフィクション性が出てしまって事実が伝わらない。」という意味の指摘があり、それはそうだと思ったので、40枚の白黒写真をすべてはずし、大きめのカラー写真を額装した作品の展示に切り替えた。糸崎さんの指摘は妥当だった。ロケ撮影の成果が生かされ、ぼくたちの狙う可笑しさが見えてきた。実は最初からカラー写真額装プランで準備していたのだが、白黒写真を見ているうちにそのスタイリッシュさの方に気持ちを傾けてしまい、カラーの案を取り下げたのであった。第1ナビである自分が途中ブレてしまっていたわけだが、それを補正し、第2ナビのような機能を果たした糸崎さんの助言はありがたかった。
そして開催初日。ハロウィンの時期と重なっていたせいか、さまざまな国から旅行者が原宿にやって来て、デザインフェスタギャラリーにも人の波が絶えなかった。ギャラリー建物の中央区域にさくら亭というお好み焼き屋があり、情報サイトにでも載っているのだろうか、多くの外国人観光客で賑わっていて、建物全体が人気スポットの雰囲気を醸し出していた。秋山の展示室も活況であった。それに対応すべく秋山はスマホで人工知能翻訳アプリを使って展示用キャプションを作り、コンビニで印刷して壁に掲示したが、彼のこういう機転は面白いな、とよく思った。東京の旅はコロナ明けのインバウンド、ハロウィン、人工知能を使って作った即席のキャプションなど、時節を反映した、快活な印象をぼくの記憶に残したが、何事も屈託なく肩の力を抜いて取り組む秋山アキヲと一緒だったことが、その楽しさ、快活さの第一の要因であったとぼくは思っている。
◼️彦坂尚嘉先生
↑秋山アキヲ個展開催の前日、東京南麻布にあるMISA SHIN GALLERYで開催されていた彦坂尚嘉先生の展覧会を訪れた。会場トータル面でも作品面でも、見応えのある、背筋に芯を通すような、フォーマルな展覧会であった。彦坂先生は「フロアイベント」や「ウッドペイント」という仕事で、日本の現代美術に足跡を残している美術家である。今も表現実践とともに、他に類例を見ない独特の言説をSNS等で発信しており、ぼくはその発信を通じて先生の生きた言説を知るようになった。
彦坂先生の発言から影響を受けた部分が、ぼくの中にもいくつかある。例えば二十代から私のヒーローであり、グローバルの覇者として名高いゲルハルト・リヒターに対する彦坂先生の批判は、ぼくの中で自明のように拘束力を持っていた西洋近現代芸術への盲信を無効化し、学究サイドと市場サイドが結託して神殿を作り上げ一元的支配を強めているのではないか?という洞察を深めさせた。容易には崩しがたいほどに権威を強化した「美術業界」への異議申し立てを、ぼくは彦坂先生とその弟子の糸崎公朗さん以外から聞いたことが無い。だからぼくは二人に敬意を抱くのである。
ちなみにぼくは中庸を尊ぶ。偏った主義主張をなるべく遠ざけ、バランスの取れた、余裕ある考え方を愛する。ある程度尖った言説も穏健な言説も、妥協的・現実的言説も、理想的・浪漫的言説も、その論旨論旨に応じてそうだよな、いいこと言うよな、と首肯する。あっちに傾き、こっちに傾く。それで自分なりにバランスをとっている。それが中庸だと思う。優柔不断、八方美人とは思わない。だから誰からも疑われないで賛美される事物への批判を見つけるとホッとする。今の美術は全体主義的で、みんな同じ方向を向きすぎてると思う。本質を見ずにラブ&ピース、自由自由と言い過ぎ。規律や闘争が必要なときもあるはずなんだけどな。少しはスポーツを見習おう(スポーツにはほとんど関心ないけど)。
上の写真は関東在住の美術家さんたち(左の四人)と関西から来たぼくら(右の二人)。左から三人目が彦山先生、四人目がその弟子糸崎公朗さん。MISA SHIN GALLERYにて。
↑彦坂先生の展覧会を訪れた翌日、光栄にも彦坂先生と糸崎さんが、神奈川県秦野市から秋山アキヲ展を見に来てくださった。研究生仁花を交えて記念写真。ギャラリー近所の中華料理屋での美術談義も楽しく、印象深い時間をご一緒させていただいた。
◼️記念写真集
◼️原宿の街に繰り出す。
↑同時開催していた仁花とともに原宿の街に飛び出した。それぞれの作品(ペイントした服と四画仙の一人)を携えて。「並行世界から迷い込んで来た商家の娘と番頭」感が面白い。
◼️番頭ルーム
↑デザインフェスタギャラリーをすごく好きになってしまった。六日過ごしたが、旅館にいる気分であった。関西や東北や関東近郊から上京し、夢を抱いて出展販売する人たち(アルゼンチンから半被を売りに来日した作家夫婦もいた)。若者の同人サークルもあれば、純粋美術のフィールドにいながらグッズ販売の販路を切り開こうと挑戦する作家や、抜け目なくマーケティングに長けた商売人気質のクリエイターもいる。慣れた感じの常連さんも、不慣れな感じのいちげんさんもいる。彼ら(ぼくらを含む)はいわば宿泊客だ。ほとんどが連泊の。そうかと思えば欧米圏やアジア圏からの観光客、国内旅行客、地方から今日上京してこられたのかな?という感じの、出店者の祖父母らしき老夫婦もいる。そちらはデイユース。本当に雑多な、さまざまな種類の人々が行き交う交差点。そんなデザインフェスタギャラリーのフロント隣のエリアがあり、ぼくらはそのスペースも借りて写真作品を展示したのだが、そこにいると旅館の番頭になった気分で、さまざまな人たちの往来が楽しく、嬉しい気分になる。中枢を取り仕切ってるという一種のコスプレ。こういう楽しさを多くの人に味わって欲しいと思う。
◼️搬出、そして帰路につく
↑2023年10月29日。秋山アキヲ(とそのナビ清原)は展覧会を終え、翌日、帰路についた。新東名高速道路は望外に景色良好で、ステロタイプじゃない富士山を見ることができた。でもどことなく既視感がある。そうだ、横山大観感だ、と思った。
◼️秋山アキヲ個展をふりかえって(その2 時間を遡って制作・準備編)
展覧会を構想する中でまず誰に見てもらえたら嬉しいかを考えた時、秋山は冗談まじりに好きな画家4人の名を挙げた。欧州で活躍する現役アーティストだ。ならいっそその人たちの像を作り、会場に置いて、巨匠たちが個展に駆けつけてくれてご満悦!的な状況を作ってしまおう、ということになり、そこからこの計画は動き始めた。すべてのアイテムをチープな感じにしよう、ズレズレの勘違い野郎で行こう、姫路の田舎から出てきて得意満面なおのぼりさんで行こう!という方針で。
まずこれが俺たちの仙境だ!というつげ漫画風タペストリーを作り、それから四画仙と名付けた人物像を段ボールにアクリルで描いた。そしてそれを切り出した。ちなみに身体部分はSMAPを参照している。
しかしそこからが大変だった。セメントで台座を作る過程で失敗し、一から作り直したり、支柱となる角材とダンボールの接続をどうするかで試行錯誤したりと、スイスイといかなかった。しかし苦境に屈することなく、秋山は京大医学部卒、現役医師の頭脳を駆使して解決策を探し続けた。ぼくの頭の中には無いアプリが秋山にはインストールされているみたいで、工作においても感心することがしばしばあった。作品運搬に関しても、彼は最初は運送業者依頼を考えていたが、梱包の手間暇&金銭的コストが嵩張ると判断するや、自家用車活用案に切り替え、後部座席と荷台に段ボール製の棚をこしらえ、作品を積み込めるようにしてしまった。このカスタマイズによって彼の自家用ライトバンは、合体ロボ的な趣きを伴うメカニカルなものになった(部品は段ボール製だが)。
いつもそうだが、作品本体以上に、関係性の問題が重要なんだよなあ、と思う。本体と支柱の関係、支柱と台座の関係、台座と地面の関係、アトリエからギャラリーに作品を移動させることによる関係というふうに。
ぼくは思う。絵画の「周辺」に時間と労力と創意工夫を注ぐことを惜しんではいけない、絵画とその周辺を関係づけるポイントこそが創造性を発揮する重要点なんだ、と。
さて、四画仙オブジェ(段ボールで作った人物像四体)を完成させ、今度は真夏の炎天下、いろんな土地に出向き、その土地の風景を背景にして、四画仙を立たせて撮影した。来日した四人の巨匠をローカル作家である秋山が得意顔で観光案内して回るという趣向で。撮影旅行は楽しかった。ああ自分は今アートライフを楽しんでいるな、と思った。ぼくらのもう一つの方針はコーエン兄弟(「ファーゴ」、「ノーカントリー」などの作品で知られる二人の映画監督)で行こう!というものだったが、それは意外と的を射たもので、撮影旅行はコーエンワールド日本版のような、謎めいた趣があったように思う。ちょっと都市圏から離れると、昭和遺産のような情景が土俗的因習と近代的テクノロジーがいびつに溶け合ったディープファンタジーの雰囲気でぼくらを出迎えた。しかし中にはディープすぎる物件もあった。四画仙を立たせたらホームラン級に見栄えするであろうと思われる廃教会を発見したが、実際に近付いて見ると、これは見せ物にしたらあかんやつやと思い、やめた。そこに漂う悲しみの波長を感じたからだ。どんなに印象深い素材を獲得しても、慈しみを大切にすべき時がある。
秋山アキヲの展覧会の記憶は、制作・準備編においても東京編においても、旅情とともにある。その傍にはいつもアートがあった。アートを持っててよかった。それは旅を何倍も豊かで深いものにするのだから。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました(文章・写真/主宰清原健彦)
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